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暮れのご挨拶

 28日に実家で餅つきをしました。餅つきといっても昔のように杵と臼でつくのではなく炊飯器みたいな餅つき機でつきあがったものを平たくのばすだけ。ほとんど手伝うことはなく、つきたての餅を食べに行っただけ(つきたての餅を大根おろしとからめる‘からみ餅’、食べたのは久しぶりでと〜っても旨かったです)。
 できた餅は一晩おいてから切るので、それも両親まかせ。大晦日に今年最後の挨拶がてらもらってきます。


 地元に帰り二カ月が経ちました。
 戻った当初は全てが新鮮でした。何かおもしろい事はないかとアンテナをはっているのですが、最近は馴れたせいか日常で起こることがすべて普通になっています(地元に馴染みきってしまったのか、アンテナの感度が悪いのか?)。
 東京のある友人に「こまめに更新してください」と言われました。来年はおもしろい出来事でなくとも、できるだけ更新していきたいと思っています。
 
 それでは皆さんよいお年を。来年もよろしくお願いします。
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by pukichi3 | 2007-12-30 09:59 | デキゴト

友人来訪

 中学時代の友人が訪ねてきました。

携帯電話の会話
友「今、暇かい? 暇なら、ちっとんべえ、寄せてもらおうと思って」(今、暇がある? 暇なら少し会いにいっていい?)
プ「暇だよ。今どこにいるん?」(暇だよ。今どこにいるの?)
友「ぐんぎんにいったけえりさ、ちけーから、すぐ寄るよ」(群馬銀行に行った帰りで近くにいるから、すぐいくよ)

自宅での会話
友「どーでや、ちったー馴れたかい? しばらくぶりだと、てえへんだんべ?」(どうだい、少しは〈地元の生活に〉馴れた? 久しぶりだと大変だろう?)
プ「そんな、てぇへんじゃねえよ」(そんなに大変じゃないよ)
   “中略”
友「はあ、こんな時間かい、ほんじゃ行ってみんべえ」(もうこんな時間か、それじゃあ帰るとするか)
プ「ほんじゃ、またな。年が明けたらいっぺぇのむべぇ」(それじゃあ、またね。年が明けたら一杯飲もう)
30分ほど会話をして友人は帰っていきました。

会話のとき、聞くのは大丈夫ですが、喋るのはまだまだです。でも、この文章を書いていて方言と標準語の区別がつかなくなってきました。自分では違和感がないのでわかりません。そろそろ地元に溶け込み始めました。
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by pukichi3 | 2007-12-26 12:29 | デキゴト

死んでもこねえよ! リターンズ (92年)

 翌92年の有馬記念もスズキさんと競馬場へ。(91年はこちら
 この年の秋、競馬仲間と行きつけの焼鳥屋に自前の予想を掲示し合っていた。私の有馬の予想は>『レガシーワールド本命。人気は低いけど、この馬は強い! そのレガシーからトウカイテイオー、ライスシャワー、ヒシマサル、行った行った(レースが逃げ馬と二番手で追走した馬で決まること)も考えてメジロパーマーで勝負! 自信度B』だった。
 有馬記念当日(珍しいことに普段一緒に競馬に行く仲間は皆、スキーに行き誰も来ていない)、焼鳥屋に掲示した予想のことはすっかり忘れていた。レガシー、テイオー、ライス、ヒシマサルのボックス馬券は買ったものの、今年も穴馬に悩む“メジロパーマーか? フジヤマケンザンか?”。
 そこでスズキさんに、
「パーマーはどう思う?」
「そんなの死んでもこねえよ! 最後の直線でズルズルさ」
 とバッサリ。結局パーマーを切り、ケンザンを買った。
 レースはパーマーの逃げ切り勝ち。三番手から追いすがったレガシーが二着に入り、馬連31,550円の万馬券。悔しまぎれにスズキさんに八つ当たり。
「死んでもこないって言ったじゃないか! 去年も“死んでもこない”って言ったダイユウサクが勝つし、どうしてくれるんだ!!」(自分が悪いのに……。スズキさんはこの日以来、「この馬はどう思う?」と聞いても、困ったような顔で「うーん、どうだろう、来るかもしれないね、全然わかんない……」としか答えてくれない)

 夜中、スキーに行っている仲間から電話がある。ぼそぼそと低い声で、
「メジロパーマーとレガシーワールドの馬券いくら買ってた?」
「うるせえ! 一円も買ってねえよ!」
 一瞬の沈黙の後、電話の向こうで、
「買ってないって!」
 友人が叫ぶと、とたんに「バンザーイ! バンザーイ!!」と騒ぐ声が響いてくる。ムッとして受話器を叩きつけた。しばらくして、また電話が鳴る。
「もしもし~!、A で~す!!」
 仕事の後輩だが、声が妙にハイテンションだ。
「どうしたの?」
「ありがとうございました、プ吉さんの予想にのって馬券取らせてもらいました」
「……」
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by pukichi3 | 2007-12-18 19:46 | 競馬

死んでもこねえよ! (91年)

 90年代の有馬記念は仕事関係のスズキさんと見に行くのが恒例だった(オグリキャップのラストランからシルクジャスティスが勝った年まで、スズキさんの海外赴任の二年間をのぞいて毎年見に行った)。
 91年の有馬記念は、秋の天皇賞で1着入線ながら18着に降着、ジャパンカップは決め足を欠き4着、と人気を裏切ったメジロマックイーンが今度こそと意気込んだレースだった。
 当然、一番人気がメジロマックイーン、鳴尾記念を勝った四歳(現表記・三歳)馬ナイスネイチャが二番人気。マックイーンの降着で繰り上がり優勝したプレクラスニーが三番人気と続く。
 どう考えてもマックイーンが連をはずすことはないだろう。展開など読み、穴馬を探すが、もう一つ“これだ!”という馬がいない。
 何の気なしに、スズキさんに「ねえ、ダイユウサクはどうかな?」と尋ねる。
「そんなの死んでもこねえよ! カリブソングとマックイーンで決まりさ」と力んだ返事。(スズキさんは天皇賞、カリブソングから買って50万円近く儲けている)
「ちょっと気になるんだよね」
「その馬マイラー(1600m位の距離が強い馬)だろ、2500mはもたないよ」
 ……誰でもそう思うよな。自分も今回の競馬に穴馬が入り込む余地はないと思っている。結局、人気馬同士で決着すると決め穴馬を買うのをやめた。

 レースは、マックイーンが勝つと思われた最後の直線、スルスルと黄色い帽子が抜け出て先頭でゴール。マックイーンは二着。あの黄色い帽子は何? 知らない馬だ。慌てて競馬新聞を見ると“死んでもこねえはずのダイユウサク”……。
「あっと驚く! ダイユウサク!!」そんな有馬記念でした。
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by pukichi3 | 2007-12-13 11:46 | 競馬

プ吉 とらぬ有馬の皮算用であります

 今年も残すところ、あと僅か。暮れは有馬記念の季節です。そこで群馬の話ではなく東京(その近郊も含む)で生活していた頃の馬の話をいくつか書きます。(それではケロロ軍曹調で、プ吉、いっきま〜〜す!)

 ケロケロリ、我が輩、初めて馬券を買ったのは有馬記念であります。それは1987年のことでありますが、なにかと物入りなこの時期、ちょっとでもお金を増やそうと思って買ったのであります。
 我が輩の買い目は一番人気サクラスターオーの3枠を中心に、3番人気メリーナイスの7枠、それに2枠と4枠を絡めた馬券で勝負したであります。(当たったら何買おうっかな、ガンプラを大人買しちゃおっかな〜。たのしみであります)
 いよいよ発走の時間であります。
 テレビの前に馬券を置き、柏手を打って正座してレースを観戦したであります。
ゲートが開いてスタート。同時に歓声と悲鳴が巻き起こったであります。
「え、何!? 何が起こったんすか!?」
 なんとメリーナイスが落馬! であります。
 でも、まだまだ! 本命のサクラスターオーがいるであります。ところがであります。各馬が3コーナーをまわっているときに、またもや悲鳴が! 「こ、今度は何が」画面に映し出されているのは一頭の馬がズルズルとさがっていく様子。帽子の色は……赤!「サ、サクラスタオーが競争中止!!」予期せぬ出来事に我が輩の頭の中はパニック状態であります。
「……」
 結果は4-4の万馬券、でも我が輩の馬券にそんな買い目はないであります。初めて買った馬券が、わずか2分半でただの紙切れになったであります。(ね? どして? ……教えて? ……今のレースは何? ペコポンの競馬はおそろしいであります)
 その年はいつもよりちょっぴり厳しい年の瀬だったであります。

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by pukichi3 | 2007-12-07 19:45 | 競馬

渋川探検

 昨日は小春日和で暖かかったからチャリで市内を走ってみました。
 小学四年まで入沢(地図の7 番の北)の市営住宅に住んでいました。三十数年前に遊んだところがどう変わったか知りたかったので、その辺りまで行ってみました。
 1 市役所をスタート地点に選び東の 3 渋川駅へ向かいました。途中 2 駅前児童公園に寄りD51を見た後、駅から辰巳町を抜け、北西の 4 新町の交差点を右折して直っすぐ進み、寄居町交差点を左折して並木町へ入りました。 6 真光寺の前を通って北小の南側を西へ進み、北小と渋高の間を抜けて元町へ。元町から西へ緩やかな坂を上り入沢へ到着。ここまでほとんど上り道だから結構疲れました。
 以前住んでいた木造の市営住宅は綺麗な建物になり、カブトムシを取った通称、裏山も今は西小学校が建っています。「本当に変わったなあ……」という感想です。
 7 八幡宮でお参りし、県指定遺跡 8 虚空蔵塚古墳を見学した後、元町へ戻りました。今度は北小の北側の急坂を下り、坂下町へ出ました。ここには新星座という映画館があった(中学生のときに閉館した)のですが、どこにあったのかも判らりませんでした。坂下町から南へ走り、かつて市の中心地であった 5 四つ角へ。今はさびれて、当時の賑わいがウソのように閑散としています。そのまま四つ角を南へ直進し、平沢川沿い出たところで東へ。新町の消防署前を右折し、市役所通りに入り市役所へ戻ってきました。所用時間はたったの1時間半。

 ガキのころあれだけ広く感じた町が、いまは山が近く見え、なんと狭いことか……。高い建物はほとんど無く、歩く人もまばらです。ドーナツ化現象でさびれた市内をあらためて思い知らされました。ただ、所々に当時のなごりが見てとれたのはちょっぴり懐かしさがありました。今日はザッとまわっただけですが、春には一日かけて、ゆっくり歩いてみたいと思います。地図は私が作成したもので学校や寺の位置などが多少ずれているかもしれません。
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赤いラインが走行した道
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by pukichi3 | 2007-12-04 09:19 | 散歩・ドライブ